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中平卓馬から/へ・ノート
(『インパクション』82号[特集:'60〜'90 カルチャー・マップ]、1993年9月、インパクト出版会刊)
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1980年代後半に顕著となった「新しい写真」の傾向――それは現代美術と写真メディアとの長い逡巡ののちの邂逅、そして写真そのものが独自の美的価値領域を築き上げてきたのだという、大まかにいえばふたつの側面からの写真の「芸術」化によった――は、たしかに未だ整理されない混沌を「写真史」の延長線上にあらわしているかにみえる。そこでは写真が現実の事象に従属せざるを得ない「記録」のメディアから、より自由な、写真そのものがもうひとつの現実として自立した「表現」のメディアへと解放あるいは再生されるという図式が見てとれる。
 しかし、私たちはここでこの「写真史」的記述、この図式をこそ疑うべきではないか。特にも「記録」と「表現」の対立を自明のものとし、そこに見出される「新しさ」を顕揚する――懐かしい「前衛アヴァンギャルド」の物語?――昨今の動向について、そこでの表現の優位とは、換言すればその「自由」とは、如何にして担保されたものなのか? と、問うべきではないだろうか。
 このように問うとき、この写真というメディアを巡っての「記録」か「表現」かという二項の対立は、実際、同じ幻想を共有するもの同士の、いうなれば「写真=神学」の解釈の相違でしかない。そしてその神学こそ、それを無邪気に信奉する者たちの寄辺であり、かれらの手にした「自由」はその限りでしか成立し得ないだろう。
 いささか性急に書き連ねてしまったきらいがあり、ことばの不備はいかんともしがたいが、とりあえずは写真表現の現在の状況を粗く素描するに留めよう。このような一元的多様性の迷宮からの離脱を画ること、そのラディカリズムこそが必要なのではないか(もっとも今日、それを誰が希求しているのかと尋ねられれば心許なくはあるが)。ともあれその可能性――あるいは不可能性――への問いかけを軸に、この小文への要請に従ってひとりの写真家に触れておこう。
 1968年、『プロヴォーク』創刊。同人は中平卓馬、多木浩二、高梨豊、岡田隆彦(二号より森山大道が参加)。三号まで出版したのち、1970年、『まずたしからしさの世界をすてろ』を刊行し、解散。
 「思想のための挑発的資料」と副題されたこの同人雑誌は、写真史上の「事件」として現在において記憶されている。とりわけ中平卓馬は、写真家として、また批評家として活動し、さらに二度に亙る意識の喪失によってその営為が中断されるに及んで、神話化されていった。
 中平の最初の写真集『来たるべき言葉のために』(1970)を繙くとき、そこに見られる映像は過剰なまでに焼きつけられた黒と白のコントラスト、粗粒子、そして撮影時のブレ、ボケによって被写物の像が溶解し、細部の判然としないものが多数を占めている。それは今日見ると如何にも古臭いものだが、当時、中平たちが先験的にある(とされる)現実、あらかじめ意味付けが完了され規範=制度化された風景を拒絶するために、必然的に導き出された方法論だった。
 ひとりの撮影行為=者と世界との対立。しかし、中平は続く『なぜ、植物図鑑か』(1973)でその戦略を反転させる。それは「世界」という意味の専制の拒絶が「私」の専制へと、同じ近代のパースペクティヴのなかに回収されていく危機意識に基づいている。撮影行為は〈事物ものの思考、事物ものの視線を組織化すること〉であり、世界は〈私の視線〉と〈事物ものの視線〉が交錯し〈せめぎ合う磁場〉なのだという中平の認識は、後に「凹型の眼」という全き受容性へと概念化される。そしてそれは〈そこにある部分は全体に浸透された部分ではなく、部分はつねに部分にとどまり、その向う側にはなにもない〉(強調原文)断片の集成へと、いわば規範化する求心力を断ち切るかれの言うところの「植物図鑑」への決意として表明された。しかし、中平はこののちに昏倒、1977年には、'70年代の主要な時間をほぼ喪失する。
 1977年以前の中平に対し、論駁せねばならない点は数多あるが、それは措く。何故いま中平卓馬か、それだけを述べておこう。
 「カメラの眼」とはこともなげに使われる言葉だが、それはたんに写真が対象の忠実な写しであることを意味するのではない。人間の「見る」という意識化された知覚以上に写真は対象を像=物イメージ化する。それは既に人間の視覚の延長上にあるのではない。そして撮影行為=者はそのかぎり、どこまでも写真から、と同時に世界から疎外され続けていく。中平は撮影行為を通じて自らを世界へと投企しようとして、頓挫した。それは二重の疎外を身に受けたそのうえでの関係性の構築――さらに換言すれば「写真家」という存在の、その不可能性を自ら生きること――へと進んでいったが故のいわば必然であった。そのことは写真というメディアのおそるべき他者性を示しているといってよいだろう。だからこそ、私たちは中平の昏倒した地点を見極め、そこから出発しなければならない。そこには通訳不能な固有性の在り処が、多元的世界のあらわれの端緒がひらかれているはずだ。