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《戦後日本写真史=論――8・15以後の世界像》のためのノート
(未発表:1994-95年/ウェブ・テクスト化:1999年)
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タイトルが示唆するように、この論考は「戦後」「日本」「写真史」――あるいは「写真=史」(1)――という三重の規定によってその成立の根拠を与えられている。むろんこれまでも、「戦後」の「日本」の「写真史」は、おおくの論者が幾度となく記述を繰り返してきた。そのようにして形成されてきた、謂わばこの「戦後(日本)写真史」=正史についての実証的な追認作業は――そのアプローチの有効性を認めたうえでだが――、ここでは行なわない(つねにそれらを参照しはするが)。むしろそのような「歴史」を正当=正統なものとするわれわれの(無)意識に問いかけ、これを批判的に検証することが必要とされる。これまでに語られてきた(=語り得る)「歴史」をではなく、語ろうとしても語り得ない、本質的に記述不可能な歴史、 《抑圧された歴史》の側へと、われわれは問いを開いていかなければならない(但し、《抑圧された歴史》がたしかに《歴史という抑圧》の陰画だとしても、ここで目論まれているのは所謂「裏面史」の発掘などではない。それはえてして「歴史(=正史)」との対決を装いながら、そのイデオロギーを補完する。それらは野合し、われわれの試みを挫折させるだろう。われわれは「歴史」概念の検証、単線的歴史記述のイデオロギー機能の批判を通じて《世界》と出会うためのレッスンを行なおうとするものだ)。われわれは「戦後」「日本」「写真史(写真=史)」という、もはや自明とも思われる事柄を批判的に検証し、それらを不断にあらたな概念装置として作り替えてゆかなければならない。
 写真を論ずる際に問題となるのは、それが写真であると認識される限り、単一の平面上で語り得ると錯覚してしまうことではないだろうか(そのような地平に依拠するよりもまず、われわれは自らの足許の「大地」が本当にあるものかどうかを検討するべきだろう)。われわれの課題は、「写真」という地平を仮構してそこに依拠するのではなく、むしろ「写真」へ/からの問いを開く地平を準備することにある。付け加えるならば、上野修が指摘するように〈言語という恣意的な意味の織物をとおしてしかそれを知覚することができない[……]写真という抽象物〉に対し〈写真自体という実体的な在りようをあらかじめ措定〉(2)することは注意深く避けられなければならない。写し撮られた対象、あるいはその方法論によってジャンルを区分し、そのような区別をもとに個々の作品なり作家なりを語るというありふれたやり方は、しかし「写真」をまさしく括弧でくくることによって成立可能になるという単純極まりない事実を、われわれは看過すべきではない。そのような作品論・作家論は、いかにも「写真」に即しての写真論を志向するかに装うが、多くの場合、《写真の思考》を描き出すことに頓挫し続けてはいなかったか?(例えば写真=メディアについての考察の不充分や、この社会の道徳的規範や価値判断の無批判の受容によって)
 そしてそのような作品論・作家論が前提となるこれまでの「写真史」の記述がこの点に留意してこなかったことは明らかだろう。
 写真について論じること、《写真についての思考》とは即ち《写真の思考》を素描する試みではないだろうか(『言葉と物』のフーコーを想起せよ)。とすればそこに召喚されるべきは、何よりもまず非人称の《世界》に属する写真という出来事をわれわれへと媒介するプロセスを辿り、それを可視化する試行に他ならない。そのように考えた場合、これまでの写真論が、「写真」について、折に触れて「死」のアナロジーでそれを語ろうとしてきたことにここで注意しておこう。写真というメディアに於て、われわれは回帰し得ない一回性の「出来事」、あるいはこう言ってよければ、それがたしかにあったのかどうかすら確定し得ぬ「出来事」についての記憶――〈それはかつてあった〉(3)――を形成する(しかしその時、「写真という出来事」が消失するという事態にもまた留意しなければならない)
 われわれは自らの死を、「私」の死を経験することはできない。経験できない「出来事」を自ら語ること。ヴィトゲンシュタインがいう〈語りえぬものについては、沈黙しなければならない〉(4)というテーゼは、しかしそれ故にその「沈黙」の語り――「沈黙」という話法の発明(5)――を、つねにわれわれに要請する。唖者の語り。その困難を経由しなければ、もはやわれわれは語るべきなにものも持ち得ないのではなかったか? われわれはすべからくそこから出発しなければならない。その営みから目を逸らすとき、われわれは広島の、長崎の、アウシュヴィッツの、そしておおぜいの今世紀の死者たち――数量化され、抽象的にしか捉えられぬ無数の死者たちの群れ!――と遂に出会うことなく、また自らも生きながらにして抽象的な死者となるしかないのである。それは、「歴史」の名のもとに政治(的無意識)の側へと編制される。〈宗教の代用物としての歴史は、労せずしてえた代償的意味の提供者として、あやしげな神意の役割をはたす点で、明らかにイデオロギー的である〉(6)。20世紀があらゆる場面、あらゆる方法で「大量死」を可能にした時代であることを忘れてはならない。〈これらの死は、我々を、ナショナリズムの提起する中心的問題に正面から向いあわせる。なぜ近年の(たかだか二世紀にしかならない)萎びた想像力が、こんな途方もない犠牲を生み出すのか。そのひとつの手掛りは、ナショナリズムの文化的根源にもとめることができよう〉(7)というベネディクト・アンダーソンの提起は、われわれにとって有益なものとなるに違いない。
 近代によって産み出され、同時に近代を胚胎した「写真」というメディアの特殊性が、この時代のナショナリズムの形成に大きく寄与したことを忘れてはならない(マス・メディアを通じて流通=消費される映像言語としての写真は、よく言われるように国際共通語リンガ・フランカ]なのではあり得ない。この点については鈴城雅文の卓抜した写真論(8)を参照せよ)。日本が近代国家として成立していく過程は、写真がその誕生から一般に普及していく時期と軌を一にしている(日本では国家語による公定ナショナリズムの普及がそれほど困難なことでなかったことは――例えば今日に於ても「単一民族」幻想が流通していることからも――明らかだろう)。そのような基盤をもとに、家庭アルバムが家族=共同体を補完し、また写真の自己同一化アイデンティフィケイションの機能を通じて天皇家と一般家庭を通底する国民国家という想像の共同体を形成する。写真が媒介する共同体のイメージ(=規範)について、われわれの分析は「戦後」民主主義社会にまで続くこのイデオロギーの再生産機構にも向かうことになるだろう。それはまた「民主主義」という本質的に不可能である制度をあたかも実体化=固定化する「戦後」という言説空間を問うことでもある。
 したがって、われわれの作業仮設は、「戦後」と「日本」と「写真史(写真=史)」という表象の函数がどのような世界像を形成してきたのかを分析することに重点が置かれるだろう。そしてこの言説空間を通底するイデオロギーの諸相を解析し、そこで抑圧されている「出来事」を表象すること。繰り返せば、われわれが直面しているのは〈ある不可能なものの可能性の経験であり、そこから出発して唯一可能な発明を、すなわち不可能な発明を発明すべきアポリアの試練なのだ〉(9)。不可能によって規範される共同体? それはまさしくいまここにある制度に抗し漂流する共同体の可能性をひらくものだろう。不可能なものへの権利を賭したこの闘争を、われわれは不断に継続しなければならない。

1)これまで「写真史」として記述されてきたものの多くは、写真家の――あるいはその職能団体内部での――「表現」の変遷という点に重点が置かれてきた。このような「正史」に対し、より広範に消費される写真――例えば家庭のアルバム、皇室写真、さらには心霊写真やエロ写真といったものまでを含む――に見出されるわれわれの感覚や欲望の変容を視野に入れた分析を行なう際に、前者と区別する為にこれを「写真=史」と表記する。いうまでもなくこの「写真史(写真=史)」とは、写真の使用(利用)についての歴史に他ならない。
2)上野修「写真のポリフォニー」/『美術手帖』(美術出版社、1990年4月号)所収、p.56. 
3)ロラン・バルト『明るい部屋――写真についての覚書』(花輪光訳、みすず書房、1985年6月刊)、pp.92-95. 強調は原文。
4)L. ヴィトゲンシュタイン「論理哲学論考」(坂井訳)/『論理哲学論考』(藤本隆志、坂井秀寿訳、法政大学出版局、1968年7月刊)所収、p.200.
5)われわれはここで表象不可能な「出来事」をいかに表象するのかという「表象の限界」についての問いを必然的に召喚する。《アウシュヴィッツ》を巡る近年の論争はこの、不可能なものへの権利(小林康夫)を賭した闘争に他ならない。
6)ドミニク・ラカプラ「ホロコーストを表象する――歴史家論争の省察」(小沢訳)/『アウシュヴィッツと表象の限界』(上村忠男、小沢弘明、岩崎稔訳、未来社、1994年4月刊)所収、p.139.
7)ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行』(白石隆、白石さや訳、リブロポート、1987年12月刊)、p.19. アンダーソンはこの論考で出版による国家語の形成という観点からナショナリズムの起源と成立のメカニズムを分析している。
8)鈴城雅文『写真=紙の鏡の神話』(せきた書房、1985年11月刊)
9)ジャック・デリダ「他の岬――記憶・応答・責任」/『他の岬――ヨーロッパと民主主義』(高橋哲哉、鵜飼哲訳、みすず書房、1993年3月刊)所収、p.33. 強調は原文。

附記:
この文章は大平が現在、執筆の準備を進めている論稿のノートを、大阪の写真研究会《点・線・面》のメンバーに対して参考資料として書き記したものに修正を施したものだ。
 モダニズムの一般的性格として何らかの分野(領域)がそれぞれの自律性を主張し、そのジャンル内部での発展が固有の「歴史」として記述される傾向が挙げられる。この歴史観がさらにそのジャンルの自律性を保障し、円環的にこれを強固なものにしていくことはいうまでもない。本文中でも触れられているが、そのこと自体には一定の必然性、或いは有効性といったものが認められる。だがしかし、それらが他の事象との結び付きを失い、自律性の神話のなかに没していく時、われわれはそこに「新たなる野蛮」のひとつの顕れを見出すことができるだろう。各領域でのそこでの達成は、それがつねに他領域との関連のなかで相対化される契機を持たない限り、閉じた円環の内での絶対性をそれ自身によって保障するという、一切の検証を必要としない権力装置としてつねに機能し得るからだ。
 翻ってここでの問いに立ち返ろう。戦後、日本の写真史についての記述はこれまでどのようになされてきたのか? また、自らの戦争責任を問うことの殆どなかった――むしろ時代の不幸に巻き込まれた「被害者」として自らを語ることのほうが多かったのではないだろうか?――「戦後」の「写真界」はどのように準備され形成されていったのか?
 これらの問いについて先に述べたモダニズムへの批判的視座を手懸りに、日本に於ける「写真家」の成立から戦前、戦中の「写真界」の動向と思潮の検証、それと「戦後」との関係を見出すことが、(直截的には)さしあたっての作業となるだろう。但しそれは、「写真家」の「表現」について何かしら語るためにではなく、それを可能にする(自然化する)われわれのイデオロギーについて語るために行なわれるものであることを確認しておく。

後日譚(1999):
ここで予告された試論は、若干の個人的な事情と圧倒的な怠惰のゆえ現在に至るまで着手されていないままとなっている。その間に、クロード・ランズマンの『SHOAH』の日本での上映の実現、そして加藤典洋のあの『敗戦後論』の刊行を契機とする「歴史」と「証言」を巡る論争があり、また一方では「新しい歴史教科書を作る会」のような反動的――そう、あくまでも「反動的」であり、全く「保守的」ではない――勢力がそれなりの注目を集めた事は誰もが知るところだろう。多少は、そうした動きとの連関を通じてこのテーマを考えていく事が可能だろう。
 この、いささか気負いの過ぎる若書きの文章を今、あらためて「お蔵出し」する事に気恥ずかしさがない訳ではないが(と言うよりも気恥ずかしい限りなのだが)、自らの怠惰を戒める為と、そして今日に至るまで写真家の戦争責任について全くと言ってよいほど論じられることのなかったという「事実」に対してささやかな抵抗を試みてみたいという当初の企図をもって、敢えてここに掲載する。