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「第11回東川町国際写真フェスティバル」レポート
(『アサヒカメラ』1995年10月号、朝日新聞社刊)
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今年もまた、夏がきた。
 北海道上川郡東川町。北海道のほぼ中央、大雪山系の麓に位置する人口7000人あまりのこの小さな町が「写真の町」を宣言したのは、1985年6月のこと。以来、毎年夏に行なわれる「東川町国際写真フェスティバル」は今年で満10年を迎え、7月28日から30日にかけてのメイン会期を中軸にその第11回目が開催された。
 くしくも「戦後50年」というメルクマールと重なった今回のフォトフェスタのテーマは「アジアの空の下」だった(とはいえ、よくも悪くもそうした戦争の記憶を喚起させるものではなかったが)
 主会場の「写真の町・東川町文化ギャラリー」では、海外作家賞の金秀男キム・スーナム](韓国)、国内作家賞の杉本博司、新人作家賞の瀬戸正人、特別作家賞の林田恒夫の各氏の作品展が行なわれ、好評を博していた。なかでも圧巻だったのは瀬戸氏の作品「Living Room in Tokyo 1989-94」だろう。十数メートルにわたる印画紙のロールに切れ目なくプリントされた作品の、その力強いプレゼンテーションもさることながら、さまざまな国籍(「日本人」を含む)を持つ在日居住者の生活空間の写真は、それを見る私たちの「生活」の意識までもを照射するかのようだった。また、金氏の写真は韓国の「クッ」(シャーマンたちの祭儀)を長年ドキュメントした力作で、これまでも日本ではほとんど知られることのなかった作家の仕事を積極的に紹介してきた東川賞の意義を改めて確認することができるだろう。同会場ではこれらの自作品について、受賞作家がゲストと語り合う〈受賞作家フォーラム〉も行なわれ、普段あまり聞くことのできない作者の思考や制作の現場の話が、ゲストとのやりとりのなかで軽妙に語られて、大勢の観客が熱心に聞き入っていた。
 そのほかにも石川真生、植田正治ほか16人の写真家によるスライド上映とともに、札幌在住の即興ピアニスト・宝示戸亮二とターンテーブル奏者でギタリストの大友良英によるセッションが繰り広げられた〈写真の星座〉は、企画のユニークさと緊張感に満ちた内容とによってひときわ目を惹いた。
 また、北海道から九州まで全国各地から広く参加者の集まった〈写真アンデパンダン展〉や、ゲスト写真家がインスタントカメラを手に、夏祭りの山車とともに町内を歩き、道すがら撮影した写真を町民にプレゼントする〈フォトパレード〉、ラトビア共和国の国立写真博物館館長のヴィルニス・アウジンス氏の講演会など、さまざまな催しが行なわれた。
 地方自治体がこうした文化活動をひとつの指針として町づくりを行なっていること、それが地域住民に受け入れられ10年にわたって続いているということは、全国的にも非常に稀なケースだろう。しかしこの毎夏の「写真の祭典」は、それが多くの訪問者たちにとって一過性のイヴェントであるだけに「写真の町」の住民の姿が見えにくいことも否定できない。少なくとも、フォトフェスタのメイン会期で見ることができるのは、大文字の「文化」として写真を受容する積極的な姿勢ではあっても(それは十分に評価されるべきだが)、この町の住民が編む日常の物語の集積が、写真を通じて自前の文化を創り出していく姿ではない。それが私たちの前に提出されるとき、この「写真の町」の試みはより豊かな実りをもたらしてくれるように思える。
 一方、写真展の展示設営やイヴェントの現場に携わるヴォランティアのスタッフについても触れておきたい。このフェスティバルのために関西や東京から参加する彼、彼女たちが、一週間に満たない期間のうちに優れた展示を達成させる無償の熱意と働きぶりは、感動的である。さらに付け加えれば、そこに集まった人たちがグラスルーツのネットワークをさまざまなかたちで形成しつつあること、例えば今年8月に行なわれた「ならフォトワークショップ」に、今回を含め過去何度かのフォトフェスタにヴォランティアで参加した若い写真家たちが、運営スタッフや展覧会出品者として数多く参加したことなどは、東川町の試みが散種した成果のひとつなのだと言えよう。
 このフォトフェスタが規模の点や地理的なハンディから東京中華思想的な「写真界」ではトピック程度の扱いでしかないのは寂しい限りだが、それでもなお東川の地道な歩みはいま着実に日本の写真シーンに影響を及ぼしつつある。
 この豊饒な夏がこれからも続いていくことに寄せる期待は大きい。