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「第12回東川町国際写真フェスティバル」レポート
(『日本カメラ』1996年10月号、日本カメラ社刊)
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「今日のライヴでは、東川に来てくれていた人の姿もあって……、本当にどうもありがとう。」
 演奏を終えた宝示戸亮二は、ひとしきりの拍手のあと、客席に向かって、そう挨拶を返した。
 8月25日、新宿、ピット・イン。「北」からやってきた「ぶっ壊れたエリック・サティ」、1年 3ヵ月ぶりの東京でのライヴでのことだ。
***
北海道上川郡東川町。北海道のほぼ中央に位置する、人口7000人あまり、農林業が基幹産業の、のどかでなんの変哲もないこの町が「写真の町」を宣言してすでに10 年以上が経つ。ここは、風光明媚な、という形容がぴったりとするような田園の町だ(むろん、それは日本の他の地域と同じように、ここが低開発地域であるためなのだが)。「写真の町」という着想じたいが過疎の町の「町おこし」から端を発しているという。しかし、そこで資本による開発という「内国植民地」的な方向にではなく、文化行政に力点を置くという選択をしたこと、そしてそれが今も継続していることは充分に評価されてしかるべきだろう。
 ここで毎夏に開催される「東川町国際写真フェスティバル」も今年で12回目を数える。
***
8月2日午後、旭川空港に到着する。羽田から約一時間半、東川町はここから7km程のところにある。
 バスの時刻を確かめようとしているところで、不意に声をかけられた。東川町〈写真の町〉実行委員会の面々が、そこにいた。不思議に思って尋ねると、次の便で東京からのゲスト講師陣が到着するのだという。東川行きのバスがチャーターされているというので、便乗させてもらうことにする。やがて、その便が到着し、今回のフォトフェスタのゲスト講師たちが次々と姿を現した。何人かの知人たちと挨拶を交わし、バスへと乗り込む。一路、東川へ。
 農村環境改善センターへとバスが到着した。この、比較的大きなホールを備えた公民館施設がフォトフェスタのイヴェント会場となる。ちょうど「写真甲子園」の最終審査の最中で、全国から予選を勝ち抜いた高校生たちが一堂に会し、その日に撮影した写真を競っていた。しかし、早々にその場を中座してもうひとつのメイン会場になる東川文化ギャラリーへと向かう。
 このフォトフェスタにはかつてヴォランティアとして二度、スタッフとして一度、関わってきた。そのせいもあって、現場で作業するスタッフたちを激励するつもりでいたのだが……。
 ギャラリーの玄関をくぐるとすぐに「おお、よく来たな」と、かつての同僚から声をかけられる。現場には慌ただしい雰囲気が漂っていた。作家からの指示で、作品展の1セクションをまるごとやり直ししなければならないという。結局、その場の空気に呑まれ、気がつくと最後まで付き合っていた。作業が完了したのは午後11 時に近かった。
***
翌日からの二日間が、このフォトフェスタのメイン会期にあたり、ゲスト講師を交えてのイヴェントの殆どが、ここに集中している。海外作家賞のグンドゥラ・シュルツェ(ドイツ)、国内作家賞の川田喜久治、新人作家賞の松江泰治、特別賞の中村征夫の各氏の作品展を中核として、全国各地からの公募による《写真アンデパンダン展》、そして南アフリカの写真家、ヴィクター・マトムが現地で主宰するワークショップの写真展「サニボナーニ」(東京のフォトギャラリー・モールで開催されたものの巡回展)の三つの写真展が、この日から開催される。
「大きなステップと小さなステップ」と題されたシュルツェの作品は、分娩直後の剥き出しにされた下半身や、肥満女性のヌードといった被写体を、古典的ともいえる端正な作画によって表現し、都市生活者の生と死の不安を視線の暴力によって可視化する。日本人三作家の作品は、すでに多くの媒体で発表されてきたものだけに、説明は不要だろう。川田は受賞作の「ラスト・コスモロジー」、松江は「WORKS 1991-1995」と題された近年の集成、そして中村はこれも受賞作の「カムイの海」からの作品を、それぞれ出品した。翌4日には《受賞作家フォーラム》が開かれ、何人かのパネリストたちと作家が座談会形式で語り合い、多くの観衆の耳目を集めていた。
 記念のセレモニーがいくつか続き、午後からは改善センターのホールで《写真の星座》がある。これは市川美幸、江成常夫、エリザベス・セジャケほか16人の写真家によるスライド上映とともに、札幌在住の即興ピアニスト・宝示戸亮二と、日本のみならず欧米でも評価の高い「アルタード・ステイツ」のギタリスト・内橋和久というオルタナティヴ・ミュージック・シーンの実力派二人のセッションが繰り広げられる内容で、このフォトフェスタのみどころのひとつとなっている。特に楢橋朝子の作品上映のさいの楽音は、この日一番の収穫だったろう。しかし残念なことに、今年はスライド・プロジェクターのトラブルから、上映の多くは不首尾な結果となった点が惜しまれる。また、作品の複写が雑なために興をそがれたものも多かった(出品作家の一人は、このあとの私的な会話のなかで、このイヴェントがどういうものか分からずにラフなスライドを作ってきたことが悔やまれる、と漏らしていた)
 夕方には地元の夏祭りとカップリングの《フォトパレード》が繰り広げられる。夏祭りの山車とともにゲスト写真家たちがインスタントカメラを手に歩き、沿道の町民たちの写真を撮影してはその場でプレゼントするというものだが、実際に地元住民と写真家たちがじかに出会うイヴェントはこれのみだと言っていい。
***
数年前の意識調査でこのフォトフェスタの存続が問われたさい、町民たちはこれを継続することを選択した。しかし、フェスティヴァルのメイン会期にここを訪れる印象では、町民たちの積極的な参加は見えてこないのが実情なのだ。この「写真の町」の住民たちがどのようにそれをどのように捉え、日々の生活のなかに織り込んでいるのか、はっきりとは分からない。
 その一方で、東京から来た旅行客からはフォトフェスタの規模の小ささに失望した、との声があった。写真展がギャラリーに集中しているために、メイン・イヴェントにすべて参加しても、すぐに見るものがなくなる、というのだ。事実、この量的な面での厚みのなさは誰の目にも明らかだ。自治体の運営としてはこれが限界なのかもしれない。しかし、プログラムを見渡してすぐに気がつくのは、非公式のイヴェントや写真展がこのフォトフェスタにはひとつも見当たらないことだろう。この欠如は、たとえばゲスト(招待)というかたちでしかここを訪れることがめったにない「写真界」の住民(?)たちが積極的に参加することで変わってくるのではないだろうか。その意味では日本の写真界が東川に貯め続けたツケは大きいと言えるだろう。
 尤も、若干の期待を込めて言えば、それも近い将来に可能になるかもしれない。それは、かつてヴォランティアとして参加した若い写真家たちのネットワークが次第に広がりを見せ、リピーターとして定着しつつあることが挙げられる。さまざまな繋がりから、道内の若い作家たちともリンクしながら広がるこのネットワークの今後によっては、そうした可能性に新しい展望を見出すことが可能だろう。フォトフェスタのオルタナティヴを創り出すことができるかどうか、それがどのようなかたちで可能なのか。東川町という自治体の挑戦は、次の段階への移行が試みられる時期に差しかかっているのかもしれない。