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「フォトシンポジウム in 沖縄 '97・NAGO」レポート
(『アサヒカメラ』1997年3月号、朝日新聞社刊)
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那覇空港から沖縄本島の西海岸を北上しながら走るバスは、美しいリゾート・ビーチと米軍の巨大な軍事施設とを窓外に映している。それらを交互に見遣りながら、この島の歴史を想う。やがて、約70キロの道程を1時間40分ほどで名護の市街へと到着した。
 沖縄県名護市。「フォトシンポジウム in 沖縄 '97・NAGO」は「写真が歩いてきた道――ハイテク&ローテク」をテーマに、1月25日、26日の二日間にわたって、ここで行われる。名護出身で現在はニューヨーク在住の写真家・比嘉良治氏が自治体に働きかけ、最初に開催されたのは1987年のこと。以来、2年に一度開催されているこのフォトシンポジウムも今年で既に10年が経つ。6回目にあたる今回は、名護市民会館を中心に、写真展と、比嘉良治、田中長徳、倉持悟郎、宮崎学の各氏による講演、そして市民参加のワークショップが行なわれる。
 市の中心を貫く商店街を歩いて、メイン会場の名護市民会館へと向かう。しかし、翌日から始まるはずのフォトシンポジウムの告知がどこにも見つからない。多少の不安を感じる。到着した会場では、講師と実行委員会の人々による写真展の搬入が続いていた。
 翌25日、前日の戸惑いが杞憂に過ぎないことは一目で見てとれた。あいにくの曇天にもかかわらず、午前中に行なわれる撮影のワークショップの受付には大勢の人が集まっている。参加者たちは4つのグループに分かれ、それぞれの撮影場所へと向かう。そのなかのひとつ、市民会館の敷地内で行われた「ピンホール写真とデジタル・イメージ」のワークショップでは、地元住民をはじめ、関西、関東、さらには韓国からの参加者が集い、世代や地域を越えた交流が育まれていたように思えた。
 一方、招待講師の作品展と一般公募による写真展の会場に訪れる市民の姿もこの二日間の会期中、途切れることがなく、そこには親子連れの姿もずいぶん目についた。楽しげに写真展会場を歩き観るその姿は、微笑ましく、いわく言い難い感慨を覚えるものだった。また、宮崎学氏と倉持悟郎氏の対談の後では、宮崎氏が持参した撮影機材を見学するために、多数の受講者が壇上に集まるといった一幕もあった。こうした出来事のひとつひとつをとってみても、一般市民のこのイヴェントに対する関心が非常に高いことがわかる。
 もうひとつ、名護博物館ギャラリーで開催された「ヤング・ジャパニーズ・フォトグラファーズ・ウィズ・コリアン・フォトグラファーズ(YJP)」展にも触れておきたい。比嘉良治氏と奈良県在住の写真家・吉川直哉氏がコーディネイトするこの写真展は、各地の若い学生や写真家たちを紹介する連続企画で、今回は沖縄、兵庫、大阪、京都、神奈川、東京、そして韓国とニューヨークからそれぞれ参加があった。これは、たんに若い作家の発掘や紹介に留まらず、例えば北海道の「東川町フォトフェスタ」でのボランティアと同様に新しい交流を産み出している。こうしたミクロなネットワーキング、「弱い連帯」の可能性はけっして小さくはないだろう。
 気にかかる点もいくつかあった。講演では、話者の語り口の妙味やそれぞれの話題の面白さはあるものの、テーマを拡張し深化させる議論や批評性に欠けていたように思う。過度にアカデミックである必要はないだろうが、とはいえ、これでは肩透かしを喰った感が拭えない。また、たまたま居合わせた写真展の搬出現場で、写真家たちから借り受けた作品を素手で扱うのを見た時にはさすがに目が点になった。いかに手づくりのイベントとはいえ、これはすぐにでも改善されるべきだろう。「フォトシンポジウム」への関心の高さに比して、「写真」のあり方に対する意識の低さがここには感じられる。真に国際的な拡がりを持つ可能性があるイベントだけに、こうした点は惜しまれてならない。