大野純一著『花のはなし』書評 (『図書新聞』1998年3月21日号、図書新聞刊) |
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彼女たちはただそこに在る。写真のなかの彼女たちの視線の多くは、たしかに写真家のカメラの方を向いている。だが、その視線はけっして写真家へと、あるいは写真を見る私たちの方へと眼差されたものとしてあるのではない。ただ、視線をとりあえず繋留するためにこちらに目を向けているのに過ぎないのだ、という印象を与える。若干の例外を除いて、その顔貌は、私たちが「表情」と呼ぶものの一切を欠いているようにさえ見える。
その眼差しには、彼女たちの像を凝視する私たちの視線に対する受諾も拒否もない。見られること、見られていることは既に自明のことであり、そのことに対してもはやいささかの関心も持ってはいないかのように。そのためであろうか、殆どが裸身の、ないしは衣服をはだけた姿の女性たちの像はことごとくエロスを紡ぎ出す契機を喪失している。彼女たちはそこで自らの「裸」を身に纏い、逢着することのない眼差しをこちら側へと放っている。そう、こちら側の位置こそが、彼女たちの視線の前で問われているはずなのだ。 「あくまでも『花のはなし』をドキュメントとして作りたい」、作者はそう述べているという。本書に収録されたインタヴューのなかでも「若い女の子が何を考えてんのかさ、それで裸になったっていうことだけであって、ドキュメンタリーだと思ってやってるだけ」と、彼は語っている。 彼の言う「構図の美しさや、ライティングの美しさ、シャッターチャンスなどは一切無視しながら」撮影するという方法論は、したがって「写す側の観念に対する被写体の事実としての優越」(1) を現前させるための装置として選択されたものであるかのように思われる。しかし、写真を見る限り、それは作者自身の美意識のネガの位相にとどまっているのだと言えよう。写真家が「ドキュメント」を強調し、女性たちひとりひとりの生活に関する日常会話的なインタヴューを写真のあいまに挿しはさんでいても、それは依然として皮相的であることをまぬがれてはいない(「写真は記録である」というとき、「ドキュメントとしての写真」は必然的にトートロジーたらざるを得ず、もしそれに積極的な意義を見出すのなら、写真の言表行為そのものが問題化されなければならない)。 小林恭二はこの写真集の巻末によせたエッセイのなかで「彼は自分の孤独をより直接的に描こうとした。/ここに現れる少女たちの堅い眼差しは、そのまま大野純一の孤独の様相である」と記している。この写真集を、女性たちの像に投影された写真家のセルフ・ポートレイトと見るならば、たしかにここに付け加えるべき言葉は何もない。だが、そうであるのなら、このモノローグが「ドキュメント」でなければならない理由もまた、ないだろう。 ここでは視線を媒介として被写体とそれを見る者との「関係」が新たに胚胎されるよりはるか手前で、見る‐見られるという安定した構図へと収斂してしまい、「見る」という行為は不問に付されたままに安全な視座を保証されているのではないだろうか。そのとき、裸形の現実はまたしてもこの「現実」によって隠蔽されてしまうだろう。この視線の制度性=イメージの政治に深くビルト・インされた見る者の位相を問うこと。 そうでなければ、彼女たちはただそこに在るという出来事と、私たちはいかに対峙することができるのだろうか。 1)中筋直哉「東京論の断層――「見えない都市」の十有余年」/『10+1』no.12(INAX 出版、1998年2月刊)所収、p.172 註記: この写真集の表紙ジャケットには、二人の女性が顔を寄せあってカメラの方を向いている写真が採用されている。だが、本文中のインタヴューを読むと、この二人は写真集の出版直前にこれまでに撮影された写真が発表されることを忌避していたことが分かる。 写真家、もしくは出版社の側が、どのような経緯で表紙にこの写真を採用したのか(あるいは彼女たちが後になって翻意したのか)はつまびらかではないが、本稿掲載時には担当編集者との合議によって書影の掲載を控えることにした。 |
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大野純一著『花のはなし』 ビブロス/初版:1997.12.19/ISBN4/本体価格:2,800円 企画:フォト・グラデーション/インタヴュー構成:射場好昭/あとがき:小林恭二/装丁:伊勢功治 |
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大野純一(おおの・じゅんいち)氏は1968年兵庫県生まれ。写真家。 主な著書:『Helix――螺旋』(みずき、1995年)ほか |