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アンケート「なぜ人を殺してはいけないのか?」回答
(『文藝』1998年夏号[特集:なぜ人を殺してはいけないのか?]、河出書房新社刊)
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以下の文章は、
「14歳の中学生に「なぜ人を殺してはいけないの?」ときかれたらあなたは何と答えますか」
という、『文藝』編集部によるアンケートに対する回答として書かれたものです。

なんで殺さなきゃいけないの? ……え、答えになっていないって? じゃあ、理由があれば殺してもいいのか、だって?
 まず、どう考えても「なぜ人を殺してはいけないの?」なんて問いかけてくる「14歳の中学生」が私のまわりにいるようには思えない。よしんば、そういう人が(別に「14歳の中学生」じゃなくてもいいけど)いたとしたら、その問いかけに対する「正解」なりなんなりを考えるよりは、そう問いかけてしまうことの方がよっぽど重要な気がするので、具体的な問いかけに対しては愚直に応答するしかないんじゃないかしらん。とりあえず、ここでもっともらしい解答をこしらえてしまうよりは、どんなきっかけでも対話できることの方が、可能性はまだあると思っている。
 それに、理由があろうがなかろうが(ちなみに正当な「理由」があれば人は殺せるんですか? 本当に)、これまで人は殺されてきたし、殺し続けてきた。自分が知らないうちに誰かを殺すことに荷担していることだって、そう珍しいことじゃないし、それは実際に現在進行中の出来事だったりする。その事実を前に訳知り顔で「しょうがないよね」と呟いてみせたり、無視を決め込むよりは、そうした関係のなかでいま自分が生きているってことから出発して、そんな「関係」のあり方をちょっとでもマシなものにしていくくらいのことしか思いつかない。
 自分自身を殺すことも含めて、殺す−殺されるという関係性は、その極限状況において他者が介在しえない点で、どうしようもなく閉塞している。考えなければいけないのは、まず、そこからなんじゃないだろうか。
 ……で、なんで殺さなきゃいけないの?