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笠原美智子著『ヌードのポリティクス――女性写真家の仕事』
(『アサヒカメラ』1998年6月号、朝日新聞社)
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広告、TV、雑誌等にとり囲まれた今日のメディア環境において、一方では「女性の時代」が喧伝されつつも、他方では相変わらず、男性=見る主体/女性=見られる客体という図式が再生産され続けている。言うまでもなく芸術表現もまた、その例外ではない。
 あらゆる事象が「男」の視線によって位置づけられ、整序されたこの社会では、そのように性差を刻印された視線の制度性はすでに私たちの無意識に――男女の性別を問わず――内面化されている。
 このように重層した制度的視線の脱構築というリスキーな実践を伴うフェミニズム批評の困難とそれゆえの可能性は――観測者と観測対象とをめぐる社会科学的なゲーム理論とも交錯しながら――次第に深化しつつある。
 すでに邦訳されているL. ニードの『ヌードの反美学』(青弓社)や、G. ポロックの『視線と差異』(新水社)が美学/美術史におけるそのような研究の成果として挙げられるが、それらとともにひろく読まれるべき、1冊の写真批評が上梓された。
 著者の笠原美智子氏は「私という未知へ向かって」「ジェンダー――記憶の淵から」等の展覧会を企画担当し、活発に問題提起を行なってきた東京都写真美術館の学芸員。本書では、ジェンダー・ポリティクスを直截に照準しながら、それを主題として扱う現代写真家たちの仕事の概説とヌード写真の近代の検証とを通じて、そこに浮かび上がる眼差しの「関係性」の読み直しが試みられている。
 本書の終章、「未来へ」と題されたささやかな一節で、著者は穏やかに「愛」を語り出す。愛の行為としてのフェミニズム? だがそれは、いわゆる「恋愛」(と呼ばれるイデオロギー)を追認したり、ましてやそれを称賛することではない。そのような了解可能な、出来合いの物語に身を委ねることから遠く、むしろその余白、ないしは裂け目にこそ垣間見られる未だ名づけられることのない「関係」のありようこそが、いま、静かに語られようとしている。
笠原美智子著『ヌードのポリティクス――女性写真家の仕事』
筑摩書房/初版:1998.02.25/ISBN4/本体価格:2,600円
編集:井口かおり(筑摩書房)/装丁:鈴木成一
笠原美智子(かさはら・みちこ)氏は1957年長野県生まれ。明治学院大学社会学部卒。シカゴ・コロンビア大学大学院修士課程修了(写真専攻)。東京都写真美術館学芸員を経て現在、東京都現代美術館学芸員、東京造形大学非常勤講師。
主な展覧会企画:「私という未知へ向かって――現代女性セルフ・ポートレイト」(東京都写真美術館、1991年)、「発言する風景」(同、1991年)、「アメリカン・ドキュメンツ――社会の周縁から」(同、1993年)、「ジェンダー――記憶の淵から」(同、1996年)、「ラヴズ・ボディ――ヌード写真の近代」(同、1998-99年)ほか
主な訳書:ジョージ・レヴィンスキー『ヌードの歴史』(伊藤俊治共訳、パルコ出版、1989年)、ジョン・バージャー『見るということ』(飯沢耕太郎監修、白水社、1993年)、ロバート・ソビエゼク『カメラ・アイ』(横江文憲監修、安田篤生共訳、淡交社、1995年)ほか
主な著書:『写真 時代に抗するもの』(青弓社、2003年)、『ジュディ・データー:サイクルズ』(共著、講談社、1992年)、『写真家の時代1 写真家の誕生と19世紀写真』(共著[大島洋=編]、洋泉社、1993年)、『写真家の時代2 記録される都市と現代』(同、1994年)、『世界の写真家101』(共著[大島洋+多木浩二=編]、新書館、1997年)、『美術とジェンダー――非対称の視線』(共著[千野香織+鈴木杜幾子+馬渕明子=編]、ブリュッケ、1997年)ほか