対話:カフェ・ジャンクションをめぐって (『Junxion; Der destruktive Charakter』vol.1、1998年9月刊、office trap) Projekt fur O.T.(岡井友穂+Omni-Trax) |
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これは当時、1997年11月から1998年12月までの約一年間、東大駒場寮の一室にあった「セラピン・ステイション」で毎月一回開催されていた「カフェ・ジャンクション」のニューズレターに掲載した架空対談。この当時はまだ、岡井と Omni-Trax は「別人」という設定でした。 基本的には全くの埋め草ですが(笑)、当時のオルタナティヴ・ムーヴメントの記録としても読めるので、新たに註を付してアップしておきます(「付記」は初出時のもの)。 [2004.04.07]
岡井友穂 お久しぶりです。今日は「カフェ・ジャンクション」をめぐって対話することになっていますが、いったい「カフェ・ジャンクション」というのは何なんですか?
Omni-Trax(O.T.) いきなりですね。最初から核心に向かうという(笑)。 岡井 というより、完全に人選ミスです。これ(笑)。だいたい、参加したことのない人間と主宰者が対話するというのはかなり無理があるのでは……。 O.T. あ、そうだっけ。まあ、じゃあ今日は「擦れ違いの倫理を求めて」がサブテーマだということにしておいて(笑)。それはともかく実は、やっている本人もよく分かっていないんだよね。ジャンクションって。 岡井 そうなの? じゃあ、これでこの話はおしまいになるのかな? O.T. もうすこし話をしようよ。よく僕たちの間で交わされる話題のひとつに、「経験の分有がいかにして可能か」、というのがあるよね。経験を分有することというのは――実際に僕たちが原稿を書いたりするときの基本的な確認のひとつになっている訳だけれども――、それがいかにして可能なのかという実践のレヴェルではお互い、未だに答えを見いだしてはいないよね。 あなたも知っているように吉祥寺にあったヘーゼルナッツ・スペース(1)の活動が一種のマトリクスになっているんだけれど、ああいった、公共スペースの実験の継続というふうに、一応は位置付けられると思う。 岡井 ヘーゼルナッツもなかなか説明しづらいものでしたね。ある種、「フリースペース」という言い方で流通していたと思うんだけれども、ただ、それもそういう概念というか発想のない人には殆ど理解不能なところがあったし、逆に「フリースペース」というアイディアを持っている人たちの間ではたんに自由に振る舞える場所というように受け取られていたところがあったことは否めない。「自由」と言うのは別段、それでいいとは思うけど、それを何か享受するだけのものというのでは発想があまりにも貧困だというか。 実際に誰かが、それこそ「自由」に振る舞おうとすれば……。 O.T. 地球は実は狭かったという(笑)。 岡井 まあ、なんらかの制限を受けざるを得ないよね。ましてや、なおさら狭い空間だった訳だし。 O.T. 「経験の分有」というのも、ひとつにはそういうところから出てきたコンセプトだった。結局のところ、そういう「フリースペース」という自由の空間があるとして、そこで僕たちは生きていけるのかという問題はある訳だし。ただ、さっきマトリクスと言ったけれども、現実的には他人どうしがそこで出会うことでいろんなコンフリクトがあって、いやでもそれと向き合わなければいけない日常というのがあった。 岡井 あなたもしょっちゅう槍玉に挙がっていたけど。 O.T. はい、いろいろ悪いことしてました(笑)。いちばん長い時間そこに居たというのもあったしね。だいたい、24時間鍵が開いていて誰でも使えるかわりに全然知らない、もしかすると凄く嫌な奴と出会ったりするとか、運営に携わる人間が――それぞれ格差があったとはいえ――共同で家賃を負担していたんだけど、お金を払っていない奴が大きな顔をして居座っていたりとか、そういう可能性……というか、現実なんだけれども、それは常にありましたから。そういう異質な要素を孕んだ関係性を可能な限り排除しないで、むしろそうした緊張感をキープしつつ、なおかつダラダラと(笑)リラックス出来る開かれた空間にするためにはどうすればいいかということは、極めて現実的な課題でしたしね。 岡井 それがジャンクションのマトリクスになっていったということなの。 O.T. そうだね。あとはヘーゼルナッツの実質的な創設者の植松(青児)さんが始めた企画でミッドナイト・カフェというのがあったでしょう。僕が札幌から帰ってきてサポートし始めてから様変わりした部分も多いらしいんだけれども、まあ、カフェ・スタイルというのはそこから直接持ってきて。植松さん本人はたしか、エイズ・ポスター・プロジェクト(APP)(2)の人たちに招かれて京都を訪れたさいに、京都大学の寮を開放して、月一回か二回だったかな、そんな感じで開催されていた Chien Weekend Cafe(APP)(3)というのがあって、それに随分影響を受けたみたい。まあ、その他にもいろんな試行錯誤はあった訳だけれど。 もともとが何故、駒場寮でカフェを始めたのかと言えば、セラピン・ステイションの立ち上げの時に、たまたま主宰者の一人だった乾さんが植松さんと一緒に仕事をする機会があって、それで何か面白い事が出来ないだろうかと相談を持ち掛けたら、そういうお金が無くても出来る企画を考えるのはこいつが得意だろうというので僕の方に話が廻ってきて(笑)、それで始めたという。まあ、お金をかけないで、できるだけ雑多な人たちが出会う機会をつくるのならやはりこれかな、と。 岡井 まあ、そういう成り立ちがあったと。 O.T. そうですね。そういえば、フライヤーを渡したりすると、たいていの人に「いったいカフェって何をやっているんですか」と訊かれて、結構困ったりしてね。「いや、本当に何もしていないんです」とか(笑)。最近では深夜のお茶会とか、茶話会とか、そんな風に言っていますが(笑)。 あと、駒場寮が学部からの廃寮「計画」(4)に晒されているという現状もあって、その支援という意味合いもないではないのだけれど、それを前面に打ち出すよりは――僕はどちらかというと運動音痴なので(笑)――、こういう場を通じていろんな人に実際にそこに来てもらって自分で考えてみて欲しいというのもあるしね。よく「駒場寮ってまだあるの」という反応が返ってくるのだけど、そういうのはやっぱりメディアの情報操作が行き届いているというか、そのことひとつをとっても僕自身の問題の系と繋がってくる部分がある。 岡井 カフェのフライヤーにも書かれているけれども(5)、ここで目指されている歓待性のコンセプトというのは、直接にはルネ・シェレールから来ているんですよね。 O.T. もう、隠しようもなく(笑)。 岡井 でもどうなのかしら。確かにシェレールの言う「歓待性」そのものは非常に魅力的なコンセプトではあるけれども、それはある種の危険とも結びついている側面があるように思えるんですね。そうした脱自の経験、それから混成主体の可能性へと開かれた議論として見るならば、確かにそこに豊饒な経験のありようを生成するものではあると思うのですが、あえて疑問を呈するなら、歓待というものがそれ自体なんらかの余裕とでもいうか、そういうものが無ければ出来ないよ、というつまらない、ある種傲慢な方向に流れてしまうきらいがあるのではないか。あるいは、たとえそうした点を回避したにせよ、今度は――「神」でもなんでもいいんだけれども――、それを可能にするために超越的な項を設定して同一化するようなかたちに回収されてしまうおそれはないだろうか、ということですね。 O.T. 強いてもう一つあげるとすれば、「他者との共生」ということを安易に、理想的なイメージとして語ってはいないだろうか、というのもあるでしょうね。 岡井 そうですね。 O.T. 例えば、ツェランの言う「非在の者の薔薇」について考えてみたいのですが、あれも今言われたように「神」に捧げられたものとして読む事が出来ますよね。誰でもない者=神という超越的な者に向けて、というように。ただ、それと同時に、その薔薇は誰のものでもないが故に――まさに「非在の者」に捧げられているが故に――誰からも等しく切り離されてある、従って誰のものでも有り得る、あらゆる者(物)たちに捧げられた形象として読むことも出来るのではないか。 何故、ここでツェランを持ち出したかと言うと、周知のように彼はユダヤ人で、強制収容所の記憶が強く反映された詩を書いていますよね。そして、それと同時に彼はドイツ語――彼の同胞や彼自身と敵対した「民族」の言語――を母語として育ち、戦後はフランスに住みながら、その言語を用いて詩を書き続けていった、そういう人です。そうして書かれた詩の中に、もしかしたら僕の考えているホスピタリティの可能性が潜んでいるのではないか、そう考えたりもしているんです。本当のところはよく分からないんだけれどもね(笑)。 岡井 確かに分かり難い(笑)。ただ、ツェランの書いたドイツ語の詩というのはドイツ人でも「ドイツ語に翻訳しないと読めない」と言うような性質のものですよね。そうした詩のありようそのものが、構造的に今言ったような事と重なり合っていると言えるのかもしれませんが。 そういえば、ツェランには「花を埋葬せよ。そしてその墓に人を添えよ」という、とんでもなく怖いイメージもありましたね。 O.T. すさまじい他者表象というか。 岡井 私たちが「他者との共生」と言う時には一般的な傾向として何か、他者との幸福な関係というか、理想的な「友愛の共同体」のようなものをイメージしてしまいがちだけれども……。 O.T. 実際にはそんなわきゃあなくって(笑)。あらかじめそんな関係が築けるという前提があるのであれば、何もそれを殊更に「他者」だなんて言わなくてもいい。それは同じ共同体の内部でたまたま出会っていなかったというだけのことで。 岡井 まあ、そういう事ですね。握手しようとして差し出した手をはねのけられたりとか。 O.T. 突然、咬みつかれたり、場合によっては刺されるかもしれない(笑)。 岡井 また、すぐそういう事を……。 O.T. いや、でもやっぱりそういうものでしょう。それってすごく嫌だけど(笑)。ただ、そうした怖さと常に直面し続けながら関係性を築き上げていく、その場その場で見いだされていくコンフリクトと対峙していく事からしか、おそらくは何も始まらないんじゃないかな。 まあ、ジャンクションを今まで続けてきて、嫌なメに遭った覚えってあんまりないんだけど。毎回、僕の知らない人や初めてやってくる人が誰かしら来るという事もあって、それなりに緊張感はあるよね。それに僕は常連にはわりあい冷たいというか場合によっては労働力を搾取してますし(笑)。「俺、疲れたからあとはまかせた。おやすみ」とか言って(笑)。 岡井 いろいろ脱線しましたけれど、何となくこの辺で纏めましょうか。今後の予定はどうなっていますか。 O.T. そうですね、大阪の seminaire bureau (6)で9月12日にカフェ・ジャンクション初のリミックス・ヴァージョンを(笑)開催します。あと、これはまだ未定なんだけど、11月に一周年を迎えるということもあって、特別企画として「エディシオン・レクチュール」(7)というのをやると思います。これは珍しくテーマを決めて(笑)、ゲストの方たちに対談してもらうという、そういう企画です。まあ、単純に僕が「この人の話を聞いてみたい」というノリで(笑)、一応、今の時点で声を掛けているのは小説家の赤坂真理さん、ラテン文学研究者の野谷文昭さん、美術作家の鯨津朝子さん、美術批評家の藤井雅実さん、相関社会科学の小熊英二さん、美学の杉田敦さん、第三世界フェミニズム/アラブ文学の岡真理さん、といったところで――まあ、必ずしも色好い返事をもらっている人ばかりではないのですが――、他にも詩人の吉増剛造さん、小説家の松浦理英子さん、建築家の松畑強さんなんかにも是非、話を聞いてみたいですね。他にはね……いや、きりがなくなるからこの辺で止めておこう(笑)。駒場で教えている人にも声掛けてるあたり、本当に迷惑な奴だよね(笑)。 岡井 思いっきり、読書傾向が反映していますね(笑)。小林(康夫)さんは? O.T. 小林さんね、いいね。来てくれないかなあ。研究室もすぐ近くなんだし(笑)。でも、松畑強さんとすっごく仲悪いらしいんだけど(笑)。 岡井 来れば面白いよね。無責任に言っちゃってるけど。ともあれ、一応これで終わりましょう。 O.T. そうですね。どうもお疲れ様でした。 [1998.08.30]
付記:この対話の後、東大駒場寮に隣接する通称「南ホール」で火災が発生し、現在、駒場寮は電力供給が一切断たれたままとなっている。私たちは、こうした状況のもと、暗闇の中で開催される今度のカフェ・ジャンクションを、例えば戦時下のサラエヴォで「ゴドーを待ちながら」を上演した人々の経験と、いかにして重ね合わせることが出来るのだろうか。 ウェブ・テクスト版のための註: 1)ラジオ・ホームラン、Visual AIDS TOKYO のメンバーを中軸に、東京、吉祥寺で1994年6月から1999年2月まで活動を続けた自主運営スペース。カフェ・イヴェントや学習会等に広く利用され、一時期は「だめ連」界隈をはじめとするオルタナティヴ・ムーヴメントの情報交換場所としても機能していたが、賃貸契約更改時に会員間での運営方針の対立が顕在化し解散。 2)ダムタイプのメンバーやゲイ/レズビアン・アクティヴィスト、学生を中心に京都で発足。エイズについての無知や偏見を助長する「公共広告」に対するカウンター・イメージの製作や、クラブ METRO での定例パーティ「Love+(ラヴ・ポジティヴ)」の主宰、教育機関向けのヴィジュアル教材の作成普及事業等、広範な活動を行なう。 3)ダムタイプのメンバーでもある小山田徹氏を中心に京大 Chiien 寮で開催されていたカフェ・イヴェント。 4)学生/支援者側と学部側との衝突や強制代執行等が繰り返された後、廃寮に。学内自治や手続き上の問題は裁判でも争われた。 5)当時のフライヤーに記されたステイトメント(1997年11月−1998年12月)は以下のようなもの。 《カフェ・ジャンクション》は、毎月第三土曜日の深夜、東大駒場寮の一室に忽然と現れる終夜営業のカフェ。あるいは見知らぬ友人たちと擦れ違うための場処――もちろん、そうした人々と遭遇し、擦れ違いざまに声をかけるのかどうかはあなたの意志に委ねられている。。 ここで何が起きるのか、ここから何が生まれるのかは、誰も知らない。 むしろ、物欲しげに「何か」を期待したり、自らの居場所を疑うことなしに仲間内だけの盛り上がりを求めるのではなく、見知らぬ友人たちと出会い、互いに歓待することはできないだろうか? (他者と出会うこと、自らが他者となること、他者と/の経験を分かち持つこと。) 《カフェ・ジャンクション》は、そのように開かれた場処でありたい。あなたが誰で、一体何者なのか、そんなことは一向に構わない。 とりあえず、此処で一杯のお茶をともに……。 The cafe Junktion is an open-style temporary cafe on every third saturday's midnight going into next early morning at the Therapy'n Station in Tokyo university Komaba-ryo dormitory. Who are you ? What are you ? ...Right! It's no problem. We offer a site for an exchanges of greetings by the spirits of hospitality. And we're making for public-sphere. (It's the community to / for Others.) Welcome to the cafe Junktion. A cup of coffee (or tea) please. 6)大阪、梅田にある自主運営スペース。カフェ・イヴェントや自主セミナー、出版等、活動は多岐に亙る。 7)ちなみに、この企画は出演者の交渉やスケジュールの調整のつかないまま、結局開催できませんでした(苦笑)。 |