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写真展評 2
(『日本カメラ』1996年2月号、日本カメラ社刊)
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楢橋朝子、伊奈英次、笠井爾示。この3人の写真家に共通の線を見出すのは困難だろう。ここではむしろ彼女ないし彼らの発表に刻印された、それぞれの時代性のありようについての考察が必要とされる。たとえば1960年代末から70年代に、写真を媒介として自己と世界との切り結びを試行した写真家たちによって提起された「風景」という制度の問題、とりわけ「プロヴォーク」による所与ないし制度としての「風景」の拒絶と、「コンポラ」と総称される一群の写真家たちに顕著な平坦にならされ中心としての機能を持たない画面構成というそれぞれの展開によって浮き彫りにされた〈「写真という風景」というメタ・レヴェルの制度〉(上野修)――これは清水穣が指摘する〈写真的不可視性〉のもうひとつの側面だろう――への問いが、彼(女)たちによってどのように引き継がれていったのかに焦点をあててみよう。
 楢橋はこれまで、自らが主宰するギャラリーで「NU・E」と題する連作を発表してきた。私的な日常の光景が彼女の浮遊する眼差しによって捉えられ定着されたかのような手法による断片化されたイメージの集積が提示されるこの連作では、一枚一枚の写真ではきわめてはっきりと対象が特定できるものの、その連なりにおいては極度に意味を欠いている。ここで撮影主体である「私」は「風景」へと投企され、それがもろともに解体されたのちに、別様の「私」へと再編される。それがすなわち「写真」であるのだが、すくなくとも彼女はそれを感覚的に体得しているがゆえに、その制度性を無意識に回避しているように思われる。尤も、そうした問いかけが――個別の作家たちの状況はどうあれ時代的な潮流において――いわば図から地へと滑り込んで忘却されていった80年代なかば以降に活動を開始した彼女の表現には、そうした記憶と微かに、しかしたしかに共振するさまが見出せるだろう。それが無邪気に「私」を語るだけのこの時代の趨勢に対する違和として鈍い光を放っている。
 一方、伊奈はこれまでも大型カメラで撮影された完成度の高いシリーズを私たちに提示してきた。今回の新作「Waste」では昨年の「Scrap」に続き、産業廃棄物をモチーフにした作品を発表している。このシリーズは、銀色のスプレーを塗布した植物をクローズ・アップで撮影し風景概念の再解釈を試みた「人工楽園」の延長線上にあるものといえるだろう。
 〈写真は、現実という可塑性を欠いた世界を素材として成立している。このことは、再現性というレベルに於いて、克明写実とニュートラル志向への固執を導き、近似的に一応の結実をみる〉
 これは彼の最初の個展に付された文章からの引用だが、すくなくともここでの認識からは、写真=機械的相似物(アナロゴン)とする神話的機能に対しての疑義あるいは異議をみることができる。それはまた先行する写真家たちの困難が伊奈にとっての出発点であったことの証左にほかならない。それから今日までの彼の営為はしたがって、一貫して自覚的な〈写真的不可視性〉の表現なのだ。廃棄物によって過剰に満たされた画面の――「人工楽園」ではその装飾性ばかりが際立っていたが――みかけの厚みは、写真の表面へと私たちの思考を誘う装置となっている。これは今回の発表ではとりあえず成功しているといえよう。しかしそれは、シリーズ制作という予めその終わりを含み込んだ表現のプログラムによって転換への契機が要請されている事態を示してもいる。
 鮮烈な色彩のカラー写真と相対する粒子の粗いハイコントラストのモノクロームの写真によって、おそらく自分の生活とそこに織り込まれた身近な風俗の様子であろうさまざまな場面を、笠井は写しだしている。画面の粗さはみための暴力性を喚起させるが、けっしてそのように意図されたものではないことは抑制されコントロールの効いたプリントの処理や会場構成からみてとれる。画面のみための類似から、彼の表現が70年代の写真と比較されるであろうが、そのようにみえるのは正当であるにしても――雑誌での発表をみる限りたしかにその傾向はあるだろう――、そのようにみることは皮相な見方でしかない。むしろ、かつての制度化された空間への抵抗としてあったそうした「表現」のモードとしてではなく、歴史的時間の均質化からの日常の奪還として彼の表現が組織されつつあることを私たちはみるべきだろう。
 彼と同時代の写真家たちの傾向についても若干触れておきたい。80年代から90年代にかけて出発した若い写真家たちの多くに共通するのは、表現に対する楽観、ないしは軽率さともいえる態度だろう。歴史のくびきを解かれた軽やかさをそれに見出すこともできるかもしれない。しかしそれでもなお、私たちには歴史への対峙が迫られるのだ。個別の表現者たちの意図や制作とは無縁に、集合的に表象される無意識の専制がたとえば同時代性を規定するように。だとすれば、歴史と対峙したとき、闘争を開始するにせよ、徹底した逃走を企てるにせよ、私たちはそれへの態度を決定せざるをえない。換言すれば、「表現の自由」とは既に私たちを囲繞いにょうし、私たちに内面下された不可視の制約への抵抗のいいなのである。それを理解しない限り、「自由な表現」の開花は、けっして「表現の自由」と幸福な関係を結ぶものではなく、むしろそれを抑圧する場合すらあるのだ。
 その端的な例を、四谷のP3で開催された「写真新世紀」展、そして東京芸術大学芸術資料館と写真センターの共同主催による「写真で語る IV」展というふたつの集合展にみることができる。そこでは、そうした「自由な表現」が乱舞していた。表現手段のたやすさは、いつのまに表現それ自体のたやすさへとすり替わってしまったのだろうか? しかしそのようには問うまい。私たちの課題はおそらく、今日、広範にひろがった恵与としての収奪への批判と抵抗の組織化であるだろう。