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写真展評 3
(『日本カメラ』1996年3月号、日本カメラ社刊)
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1989年の「Trend '89 現代写真の動向・展」以降、「現代写真の母型」(91年)、「カワサキ・モニュメント」(94年)を経由して今回開催された「現代写真の動向 Another Reality」へと至る川崎市市民ミュージアムの一連の企画展は、日本の「現代写真」のある側面を推進する役割を担ってきた。80年代に「ニュー・トポグラフィックス」と総称された傾向の作家たち、たとえば柴田敏雄、伊奈英次、小林のりお、畠山直哉らを開館当初から継続的にフォローしていったのはそのひとつだが、そこからランドスケープの解釈を導き出し展開させたものとして今回の松江泰治、市川美幸らの出展があったとみることができる(なお本展の出品者はこのふたりのほかに畠山直哉、楢橋朝子、吉村朗、瀬戸正人、内田京子、里博文、杉浦邦恵、五井毅彦)
 これまでの厳密にコントロールされた色彩と画面構成のランドスケープとはまったく相貌の異なる畠山の出展作品は、石灰岩採掘のための発破が炸裂し土砂岩石が中空に膨張する瞬間、あるいはそれが五月雨のように地面に降り注ぐ瞬間が、遠隔操作されたカメラで撮影されている。前後の時間の脈絡を喪失したこの殆ど暴力的な運動=静止の状態は、DPEのプリントのような薄っぺらな色彩と相俟って、奇妙な感覚を生じさせる。ここでは、経験的な世界とはきわめて異質な写真のリアリティを発見しようとする作者の基本的な路線には、いささかも変更が加えられていない。そしてその作品は「風景」を放逐し、ただ「写真」のみが抽象されている。
 吉村朗は、韓国、朝鮮、中国を訪ね、モノクロームのスナップショットを撮り続けている。キャプションから、彼が意識的に日本の侵略戦争の跡を辿っているのを知ることができる。現在の東京で撮影された写真も数枚並置されているが、それもつねに戦争の記憶が深く染みついた場所が選ばれている。彼の手法とその作品は、ロバート・フランクを先駆とする、物語から解き放たれた現代写真の記憶をよく継承するものであるが、今度はそれを土地や民族といった集合的記憶へと送りかえす回路を強引に保持することによって、モダニズムの表現そのものを反省的に捉え直す契機を見出しているのではないだろうか。彼自身の80年代の軽妙なスナップと、跛行的ですらある現在の写真との隔たりがその困難を示している。
 また、89年の「動向」展の出品者でもある五井毅彦の複合的なコラージュ作品から移行した彫刻的作品(?)と、杉浦邦恵のインスタレーションは、作品そのものに関してはすでに写真論的読解の位相を離れているために場違いな印象を与えるものだった。この展観が「現代写真の動向」を形式と内容との分析によって捉え、理解しようとするものであればこの選考には疑問を挟まざるを得ない。
 とりわけ五井の89年の出品作が、複写とカットアップの繰り返しによって時間と空間を同一平面上に重層化し、その結果得られたイメージによって意味作用を生じるのに対して、今作では鉛で作られた覆いと表面に塗られたニス、画面に付着した埃といった物質が写真(映像)と等価にされている。したがってそこでは写真(映像)は意味作用を形づくる一要素といった位置まで後退している。それらすべてのアマルガムがこの作品を形式的に規定していることを考えれば、この差異は無視できないものだろう。
 この「現代写真の動向」は、今日の写真表現の諸相を提示する試みであり、同館の写真部門のサーヴェイの中間報告といった性格が多分に大きい。したがって展覧会の出品作家をつなぐ明確な主題や方向性が設定されている訳ではなく、その点ではひどく散漫なものにみえることは否めない。
 むろんこのことはこの展観のみならず、現在、美術館という制度が抱えている困難をも浮き彫りにしている。しかし、美術館という「地」に個々の作品が図像として配置され、一貫性を持ったイメージを描き出す近代的な展観のありようは、現代の表現を扱うこのような集合展ではまったく困難になっているのだ。一貫した表象を可能にする(と錯誤させる)テーマの設定すら、実際の作品の集合によって内側から解体されていくことも稀ではない。現代の表現のさまざまな自律的な運動が、すでに啓蒙装置としての美術館の役割に変質を要請しているのだ。
 また、さらにいえばそうした表現に内在する運動による解体ばかりではなく、作品に対する社会的な圧力によってそれが進行する事態もありうる。実際に川崎市市民ミュージアムでは、昨年、「ファミリー・オン・ネットワーク」展で、皇室の家族写真を用いた大榎淳の作品が、スポンサー側の検閲によってその部分を隠すかたちで展示された。富山県立近代美術館の大浦作品問題も含め、こうした事実は、ア・プリオリに表現してはならないものがあること、あるいは作品そのものの評価が審判される以前にそれが封殺される場合が現実に起こり得ることを示している。
 美術館は今日、ほぼ恒常的にこうした問題を孕んでいる。すくなくとも前者に関しては、このミュージアムの写真部門はそれぞれの企画展の連続性と連関を重視し、歴史にその判断を委ねるという戦略を採っているように思われる(もはや紙幅の許す限りではないので記すのみにとどめるが「動向」展とほぼ同時期に、戦後50年企画として開催された江成常夫の「まぼろし国/満洲」)
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