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写真展評 5
(『日本カメラ』1996年5月号、日本カメラ社刊)
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中川敬の「ウタ」が清々しい。
 1995年、阪神、淡路地域一帯を襲ったあの震災の後、ソウル・フラワー・ユニオン(SFU)の面々が被災地の避難所を巡った「出前」ライヴで唄われ、培われてきた楽曲からなるアルバム『アジール・チンドン』(リスペクト・レコード)は、音響装置はおろか電源の確保すらままならない当地に赴いたロックバンドが、チンドンと弾き語り、そして現地の住民との対話を通じて、まさしくライヴな演奏を継続していくなかで構築していった表現の、確かなアクチュアリティを感じさせる。
 ♪東京の永田にゃ金がある/神戸の長田にゃ唄がある/アラマ オヤマ/ホンマのまつりごと見せたれや/コリアンもヤマトンチュもアリラン峠を越えてゆく/ナガタちんどん エーゾエーゾ
 軽快に唄われる「復興節」――この編詞の一節への事実上の検閲から「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」名義での自主製作盤としての発表となった――に織り込まれたアジアへの視線。震災によって最も甚大な被害を被ったとされる長田区が、神戸でも有数の在日韓国・朝鮮人居住区であることはごく少数のメディアを除いて、当時の、そして今日まで流通した膨大な量の情報からは看過され続けていた。その歴史的経緯がこの地域の被害を拡大した遠因と考えられるにも拘わらず、である。SFUの楽曲に通底しているのは、その事実が――さらには琉球やアイヌといったこの国における少数者たちが――「単一民族国家」の視線によって抹消されることへの抵抗=共生の意志の表明とその実践であり、それによって「民族」の混淆するもうひとつの「日本」の姿が浮き彫りにされている。アジアの一国として日本を相対化し、新たな関係を構築しようとする透徹した認識がここにはある。
 先進国=日本と第三世界=アジア諸国という旧弊な図式を反復し、政治経済の位相からの、あるいは異国情緒的なものを除けば、その文化に対する関心が一般性を持つことは皆無であったに等しい。これまでのアジア観に欠落していたのは、まさしくこの認識ではなかったか。その構図に変化が生じてきたのは、NICS/NIES製品の進出と各国の経済成長、共産圏の資本主義化、目前に迫った香港の中国返還、欧州共同体(EU)統合成立とそれへの対抗政策としてのアメリカ合州国の経済ブロック化構想等、経済的地政学的な推移に拠るところが大きい(アジア諸国の「近代化」による文化の「成熟」やその情報の増大、さらには日本の大衆の指向性の変化によって「開かれた」状況は、その副産物といってよいだろう)
 「名誉白人」国家=日本の主導によるヘゲモニー形成? ともあれ、近年の芸術や音楽を含むアジア文化ブームは、以上のような背景からもはや日本の自惚れ鏡としてではない、対等な他者として立ち現れてきた「アジア」へと向けられた視線の一様態であると見做せよう。そこで必要とされているのは、なによりも他者との対話を可能にする共通の基盤の模索であることは明白である。
 東京都写真美術館で開催された「asian view――躍動するアジア」展(1996年1月23日−3月13日)は、これまで等閑視されて続けてきたアジア地域の写真表現の動向を紹介するもので、同館学芸員の關次和子によれば〈広大なアジア地域の写真の中でも特に中国、韓国、台湾、香港で活躍している現代作家に焦点をあて〉たものだという。それでは何故この――実状を別とすれば概ね漢語圏として了解される――地域なのか、という点についての説明は一切ない。尤も、このようなある意識の先験化(「俗情との結託」と言ってよい)自体は、展観そのものの外在的条件に過ぎないのだろう。しかし〈現代作家に焦点をあて〉たはずのこの展観の企画者は、出品作家の一人、鄭桑渓の作品(1957-62年撮影)について、そのいかなる「現代性」の根拠を示すことなく、また、四つのテーマ(「ストリート・スナップショット――日常への視点」「人体と記憶」「世相と風景――作られた風景・選ばれた風景」「ドキュメンタリー」)による区分も――たとえそれが「とりあえず」のものだとしても――そこでの作品への適用は妥当性を欠き(たとえば「世相と風景」のパートの黎健強・黄志遠の作品)、さらには会場構成によってその区分そのものが反故にされる(呉世傑の作品)といった具合に、この展観で提示された作品についてさえ「なぜこの作品なのか」という論拠なり注釈なりを片鱗すら提示することがないのは何故なのか。充分に検討されたとは考えにくい準拠枠の設定が、企画の意図を不明瞭なものとしているそのことが、さらに言えばこの展観の全体を貫く批評の不在が、これらから端的に見出すことができる。
 本展カタログのもうひとりの執筆者である呉嘉寶は、〈映像文化の後進国〉という「遅れた」立場から――あるいはそのような身振りをもって――書かれた彼の文章のなかで「作品に対する評価の基準はどこにあるのか」と問うている。しかしその問いが、この企画そのものによって無残に裏切られている様は、皮肉を通り越してもはや悲惨というよりほかない。
 逆に言えばこの展観においてもっとも痛烈な批評はあらかじめ、ほかならぬこの「アジア」の写真評論家によって提言されているのだと言い得よう(ちなみにこの論稿は和英バイリンガルで表記され、その点では、この展観の当該地域の一般読者でさえ企画者の意識からは排除されているに等しい)
 もはや多言を要すまい。この展観は「アジア」の写真表現を主題としながらも、それがいかなる途によっても遂にその「文化」に至ることがないのだ。だが、この展観の示す偏向の意味は考えられてしかるべきだろう。
 〈所有関係の変革を要求している大衆にたいして、ファシズムは、現在の所有関係を温存させたまま発言させようとする〉というこのベンヤミンの言葉は、不幸にも彼が、いまもってなお一級の同時代人であることを教えてくれる。誰が〈所有関係の変革を要求している〉のかはとりあえず不問に付す。重要なのはこの潜勢力が政治的圧制という形態をとらない今日、よりいっそう私たちの(無)意識において強化され、反復されている点にある。芸術/文化もまたそれと無関係ではあり得ず、複数の文化体系が出逢うそのとき、芸術/文化そのものの政治性は露呈するだろう。換言すれば、その危険と限界をどのように乗り越えるのか、それこそが私たちの今日的課題なのだ。ここでは文化と/のアイデンティティの基層、その「自明性」こそがラディカルに問われている。