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宮澤正明
(『文藝別冊 J-フォトグラファー』[J-フォトグラファーズ・ファイル]、2000年、河出書房新社刊)
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『宮澤正明 赤外写真集1979-1999』を繙くと、赤外線フィルムに特有の、光の滲みが被写体から揮発するかのような描写にまず目を惹かれる。そのなかでも、とりわけ初期の代表作でもある「夢十夜」は、山村雅昭の「植物へ」から「花狩」までの作品と画面の構成がよく似ていることに驚かされる。しかし、むろんここで強調すべきなのはその類似ではなく、この両者の決定的な差異の方だ。植物をフラッシュ・アップし、その存在をより際立たせながら、次第に自らの観念と同化させんばかりに対象へと没入していく山村に対し、宮澤はあくまでも対象を「像」として写真の裡に封じ込め、それをマニピュレイトしようとしているかのようにみえる。そうした態度は彼が常に堅持してきたものであり、そこにこの写真家の意志をみることができるだろう。この写真集はその結果、スタティックな美しさを湛えた佳作となっている。だがそのためか、それを観る者への挑発を伴わない歯痒さをも同時に感じさせてしまうようにも思われる。静かな佇まいのなかに、打ち震える「狂気」を望むのは過剰な期待なのだろうか。

写真集:
『宮澤正明 赤外写真集1979-1999』

後日談:
この原稿は編集プロダクション、オシリスの依頼により、『文藝別冊 J-フォトグラファー』の写真家紹介コラム、「J-フォトグラファーズ・ファイル」のために書かれたもの。ただし、掲載されたものとは内容が異なる
 これらの一連の原稿は「折原貴音」名義で発表されたものだが、これは「可能であれば、編集部(もしくは無署名)で処理してください」というこちらからの要請とともに、それが不可であった場合の代案として提示したペンネーム。当初、このペンネームの使用についても難色を示されたが、以前にも別媒体でこのペンネームを使用していたことと、スケジュール的に余裕もなかったことから、とりあえずこの件はそのまま通った。
 この時には原稿依頼から入稿までのスケジュールが約2日というタイトなスケジュールであり(いつもの私なら間違いなく断ります。絶対、そういう無茶な依頼はしないでください:苦笑)、ここで触れた写真家のチョイスにも全くタッチしていないため、編集部側から依頼された中から、それまでに作品を見る機会があった作家についてだけ書くことを条件に引き受けることにした。
 この宮澤原稿は編集部側の要請により二度の改稿を行ない、ここに掲載したものを最終稿として入稿したが、著者校正終了後、編集部側によって一切の了承なしに内容が大幅に書き換えられ、また、別のコラムではペンネームが異なっていたため校正時に赤字訂正を指示したものが修正されないまま出版されていた。
 これらの点は編集部側の失態であるとして経緯説明を求め、同時に謝罪と、回収または増刷時の訂正を要求し、2000年3月24日に文藝編集部の西口氏、オシリス編集部の澤田氏が同席したうえで話し合いの場が持たれたが、ムックという媒体の性質上、謝罪告知を掲載する場がないこと、また増刷の予定がなく、一本のコラムのために既発売分を回収することもできない等の理由から、当方の要請は結局、通らなかった。唯一、私のウェブサイト上で当該原稿の掲載と経緯の説明を行なうことは問題がないとして、この点についてのみ合意が成立した。
 掲載誌記事との異同の理由と、それに関する経緯は以上。どんなに些末な文章であっても、私は自分が書いたこと以外の文章には責任の取りようがないことを改めて確認しておく。

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